What’s Design Thinking? What to be as a Designist?
デザインコンサルタント中西元男氏と、JBIGの野田泰平が、「経営とブランドとデザイン」について語り合った。[前編]
P.G.C.D.JAPANが誕生した10年前、代表の野田泰平は日本型CI(コーポレート・アイデンティティ)の第一人者である中西元男氏に師事した。以降、中西氏より学んだ経営戦略デザインは、P.G.C.D.JAPANの根幹を支え、企業としての活動に大きな影響を与えている。
「企業におけるデザインシンキング」と「デザイニストとしてどうあるべきか」というテーマにおいて、10年ぶりに再会を果たした中西氏と野田がお互いの経験や想いを語り、非常に奥深い対談となったため、前編・後編の2回にわたりお届けします。今回は前編です。
デザインコンサルタント
株式会社中西元男事務所《PAOS》 代表
中西 元男
神戸生まれ。桑沢デザイン研究所を経て、早稲田大学第一文学部美術専修卒業。同大学院芸術学専攻中退。
● 1962年 大学在学中に、総合大学にこそデザイン教育の拠点を設けるべきと「早稲田大学デザイン学部設置への試案」を発表。
● 1964年 浜口隆一氏とわが国最初の経営戦略デザイン書「デザイン・ポリシー/企業イメージの形成」を共著。その後、通巻約50冊の編著作。
● 1968年 株式会社PAOS設立。経営者に理解されるデザイン理論の確立と手法の開発をテーマに研究と実践を重ね、約100社のCI・ブランド&事業戦略デザインなどを手掛け、多くのサクセスストーリーと代表事例を世に送り出す。
● 1969~2019年 西新宿超高層ビル街定点撮影。50年間228回の記録は世界最長。
● 1980年 PAOS NewYork 、1985年 PAOS Boston 、1995年 PAOS北京 (博奥司北京企業設計有限公司)、1997年 PAOS上海 (上海派司耐特形象設計有限公司) 設立。
● 1997年4月 ハーバード大学・スタンフォード大学のビジネススクールテキストにPAOSが事例として取り上げられ、記念講演に招かれる。
● 1998~2000年 Gマーク(グッドデザイン賞)制度が通商産業省(現 経済産業省)主催から民営化するにあたり、総合審査委員長として制度改革を推進。
● 2004~2008年 早稲田大学戦略デザイン研究所客員教授。2006年~2010年 同学広報室参与。
● 2010年~2018年 ニュービジネススクール「STRAMD(戦略経営デザイン人材育成講座)」 主宰(東京・大阪)。
● 2015年10月~ 東京2020オリンピック・パラリンピックエンブレム選考委員。
● 2017年 日本文化のレガシー創出プログラム「beyond2020」シンボルマーク審査委員長。
● 2018年 台湾 東方設計大学栄誉教授。
株式会社JBI GROUP(JBIG) 代表取締役CEO
株式会社P.G.C.D. JAPAN 代表取締役CEO
野田 泰平
1979年福岡県生まれ。2010年に株式会社P.G.C.D. JAPANを設立。「年齢を美しさに変える人」を増やすため、スキンケア・スカルプケアの商品を開発、販売。また、2019年にはホールディングス会社である株式会社JBI GROUPを設立。企業理念『Pay forward』を掲げ、“世界を幸せにする人を増やす”という使命のもと、サスティナブルな商品、サスティナブルな事業を創造し、社会と未来に貢献する。
21世紀はデザインを経営にどう活かすかを考える時代
成熟時代に大切なことは「感力」
野田泰平(以下、野田) 私と中西先生の出会いは、10年前に遡ります。先生がスタートされたビジネススクール「STRAMD(ストラムド)」を受講したことがきっかけでした。
中西元男(以下、中西) なかなかいい出会いでしたね。野田さんはいつも一番前の席に座っていて、講義が終わると、毎回すぐに手を挙げて質問してきたのを今でも覚えています。
野田 当時の僕は、経営者として大きな挫折を経験し、「なぜ自分が間違えたのだろうか」と責任の重さを受け止め、たくさんの人に迷惑をかけ不幸にしてしまったと反省する日々でした。そして、失敗した悔しさもあり、「どうしたらもっとたくさんの人を幸せにして、喜んでもらえるような経営者になれるだろうか」という強い想いが湧き上がっていました。でも、何をしたらいいのか空回りして打ち手が出せない日々が続いていました。何から始めたらいいのかも分からず、最初の一歩を踏み出せないでいた。そこで、藁にもすがる思いで、2009年の冬に知人の紹介もあり、STRAMDの門を叩きました。
今振り返ると、当時、僕はどうしても自分のこだわりのデザインをしていて、狭い意味でのデザインをお客様にお届けして、人を幸せにするという広義のデザインをできていなかったのだと思います。
しかし、デザイン・シンキングをしながら、デザインを狭い意味ではなく広義でとらえ、経営とデザインを結び付けて、ある意味イノベーションを起こしていくという考えの学び舎であるSTRAMDが、私の人生を変えてくれました。
中西 STRAMDは、「企業経営にデザイン思考を」というテーマでスタートさせました。企業におけるデザイン、コミュニケーション、経営、人材育成など、各分野のイノベーションを総合的にとらえていこうという趣意のもとに立ち上げた教育プログラムです。この10年の間に東京だけでも約200人の修了生が巣立ち、大阪でも開講しました。
STRAMDを開講する上でこだわったことは、受講生に対して何かを教え覚えさせようとはしないことです。教育というのは、刺激を与えて触発していくことが重要。そういう意味で、各講師の先生方にも趣意はお伝えしていたので、バラエティに富んだカリキュラムになったと思います。
現在、修了生たちがSTRAMDで学んだことを活かして「人づくり」ができたり、何か成果を挙げられたりしているなら、このプログラムを開講してよかったと思います。
野田 今でも先生の著書『PAOSデザイン』(講談社刊)を大事に持っています。改めて読み返すと、すごく勉強になります。今見てもどのロゴも考え方も色褪せず、新しいですよね。デザインというテーマも、2010年頃からi.school(東京大学)やd.school(スタンフォード大学)の取り組みが注目を集めるようになり、デザイン思考について学ぶ人も増えました。でもこの10年間は、「デザイン思考を経営にどう活かしていけばいいのか」を皆が模索している時期だったように思います。
中西 ビジネススクールは、基本的にケーススタディが非常に重要です。しかし、当時は他にデザインを絡めたケーススタディはほとんどなかった。そういう点では、僕はデザインという分野を常に仕事の中心に置いてきたので、STRAMDに活かせました。
野田 STRAMDを開講されたときから10年経ちましたが、日本人が取り組んでいるデザインというテーマにおいては、この10年間、先生の目にはどのように映っていましたか?
中西 早い・遅いはあるかもしれませんが、基本的には予想通りだと思います。わが国は約10年前までは「成長の時代」で、今は「成熟の時代」に入ったのではないでしょうか。成熟した社会になってきて、何が重要か、どこにデザインの所以があるのか、を考えたとき、21世紀はやはり人間の時代なんです。「人間が大切だ」ということを見直す気運が高まったと感じています。
人間力には「体力」「知力」「感力」の3つがあります。社会が成熟するにつれ、重要な要素は「感力」だと認識されるようになりましたが、感力は体力や知力と違い、数値化できない。僕自身は仕事をする中で、実際にブランドやロゴを開発したり、デザインをどう事業に活かすかを考えたりしていますが、結局は「売り上げがどれだけ上がり、良い人材がどれだけ育ったか」という数字的成果が結果になるのです。僕自身も試行錯誤しながら、直感みたいなもので判断し進めていますが、これがまさに「感力」なんです。そういう意味では、デザインをどう活かすかを考えたり、それらを活かす術を創出したりする時代に、今まさになりつつあるように思います。
世界が幸せになるためには「根源療法」が重要
野田 社会の成熟化が進む中で、僕はJBIGを設立するときに「人も地球も美しく」という社会的責任目標を掲げました。その背景には、STRAMDで学んだ「デザインを広義にとらえ、考えること」が活きています。自分たちだけが幸せなのではなく、社会、自然、そして人間のすべてが幸せになるには、どのようなデザインの切り口で考えればいいのか。どんなふうに経営や事業をデザインすれば、実現できるのかを考え続けています。
先日、環境問題に関するプレゼンテーションのため、小泉進次郎環境大臣を訪ねました。そこで僕の創造のベースの自分のふるさとである九州の水俣病の話を出すと、大臣は「環境省ができた理由は水俣病なんです。以来、日本の環境問題に対する意識が変わりました」とおっしゃいました。でも、水俣病が発生してから70年経った今では、マイクロプラスチック問題が深刻になっています。2050年には海で漂っているプラスチックの方が、海で泳いでいる魚よりも多くなると言われています。海に放出されたマイクロプラスチックを魚が食べ、人間がその魚を食べることで、人体にもプラスチックが蓄積されていくという問題。他にも、珊瑚が死滅するなどの環境破壊を招いています。でも、よく考えてみたら、この話は水俣病の水銀と同じではないか、と思うんです。
一般的な化粧品にもマイクロプラスチックはたくさん含まれていて、技術が進歩しているにもかかわらず、結局は人間のためだけのことを考えて、回り回って社会と自然と人間を壊しています。なぜ多くのメーカーは地球環境と人体に配慮した製品づくりができないのだろうかと思うんです。成熟社会と言いながらも、企業の環境に対する考え方が進歩していないことに憤りすら感じます。こうした問題に、私たちはどのように向き合っていけばいいでしょうか?
中西 どういうスケールで物事を考えるのかというところが大きいと思います。例えば、病気で一番大変なのは、緊急性のある「救急医療」。それに対して、普通に通院するのは「対症療法」。でも、今、野田さんが話されたようなことを考えるのは、「予防医学」や「根源療法」にあたるんですね。とはいえ、一般的にはなかなか根源療法までたどり着かず、目の前にある対症療法を選ぶしかないという現実がある。だから、マイクロプラスチックの問題なども、ベストな解決策を出すのは簡単ではないと思います。気がついたときには手遅れ、みたいなところもありますからね。
野田 本当にそうです。環境問題の例をほかに挙げると、今、沖縄の海岸にあるサンゴが真っ白になっています。私が子どもの頃、珊瑚は7色だったので砂も海も輝いていましたが、現在はほとんど死滅し、白くなっている。でも、今の海の美しさを100として、白いサンゴを前年比98%で守り抜いたとしても、7色には絶対に戻らないんです。
中西 白化現象ですね。知らない人は、「白い砂、きれいね」なんて言いますね。
野田 以前、先生から「今を積み上げていくだけではなくて、目指している未来から今に引き戻して、デザインを考えていくんだよ」と教わりました。でも、環境問題においては、現状を100%として、なんとか98%の目減りで抑えようとしているようにしか見えないんです。
中西 日本人は、環境問題については、フィードバックを受けた上で改善を促すという思考で対応してきましたからね。昔から日本人は勉強熱心で、情報にも敏感だったから、こうしたDNAを今こそ活かして、この国が中心になり新しい考え方や成果を生み出すべきだと思います。ただ、地球規模ではなく日本基準だけで考えていくとなると、難しさはありますよね。
日本人が持っている「感力」で世界を切り開く
重要なのは「感力」を磨き続けること
野田 アートの世界においても、日本は大きな力を持っていましたよね。アートの世界は本当に奥が深く、印象派を含め、アートが王族から生まれたヨーロッパの歴史や、現代アートで国家をあげて自らの歴史を上書きし続けてきたアメリカの歴史があります。一方で日本の浮世絵も含めた、さまざまなアートや素晴らしいデザインは、ヨーロッパの印象派の人たちにジャポニズムとして影響を与えていたくらいです。2010年頃より、経済産業省による「クールジャパン戦略」が始まりましたが、当時先生は「今さらクールなんて言っている場合じゃない」とおっしゃっていました。結局クールジャパン戦略は、アニメや観光分野といった一部の産業における成果しか得られず、まさに先生の不安が的中したと感じています。今後、日本のデザインが社会、世界にいい影響を与えていくには、どうすればいいでしょうか?
中西 「デザインという主義主張で訴えること」。つまり、デザインでどこまでソーシャルバリュー、役割が創れるかにかかっていると思います。デザインにおいては、先ほどお話しした「感力」がまさに重要になってきます。日本人は昔から高い感性や知識欲を持っています。幕末に来航したペリー提督は、後に海軍兵学校の校長になり、彼の日記に、それを象徴する話が残されています。例えば、珍しい鳥がいると、欧米人はすぐに銃を持って飛び出して行くが、日本人は画帳を持って飛んで行く、と。世界的に見てもこの美意識は珍しいことですね。
野田 日本人には自然を愛でることや、美しいものを大切にしようという精神が身に付いている。
中西 四季の移り変わりを含め、さまざまな条件が重なった結果だと思いますが、日本人の自然を愛でる心や向学心に富んでいる点を、成熟化する社会において、今後はもっと活かしていくべきだと思いますね。
野田 こうした「感力」を磨き続けるにはどうすればいいでしょうか?
中西 感力を磨くのは、なかなか難しい。最終的には判断力の問題みたいなものですから。良いものを見て、自分や人はなぜそれを素晴らしいと思うのか、魅力的だと感じるのか、を考えることは非常に重要です。日常的な訓練みたいなものが大切なのではないでしょうか。
先日、企業のロゴを制作していたとき、ある人に「選ばれるのはたった1つなのに、何百ものスケッチを描くのはどうしてですか?」と聞かれたのです。確かに、実際に選ばれるのは1つかもしれないけれど、何百と創案していると、だんだん本質が見えてくるんですね。この点については、先ほどお話した予防医学的な側面で、非常に重要なことをやっているのではないかと思っています。そして、もうひとつ、ロゴが決まったときに「あれだけの数の中から選ばれているのだから、これがベストなんだ」と納得してもらえることも大きい。
野田 「1つのことを決めるために何百も案を提示する。やはりそれだけの数を見せると周りも納得するだろう」ということも重要ですが、何百も出し切るまでやりきるという、ある意味「胆力」も「感力」をつくっていくために必要なのでしょうね。変な話になりますが、2、3個や多くても10個しか創案しない人や、毎日を妥協で繰り返している人たちと、毎回300個創案するという思いでやっている人だと、やはり「感力」のスケールが違うということなんですかね。
中西 数多くつくっていると見えないものも見えてくることは確かです。「こういう部分に可能性があるかな」ということも浮き彫りになってくる。まさしく「感力」が磨かれている状態ですね。
(後編に続く)